Tuesday, September 30, 2008

文章

今日は文章を書いていました。
昨日まで仕事と学校に明け暮れる毎日だったのですが、今日と明日は仕事がないんです。
それからまた働き倒すんですがね。

大体半分くらい書いたと思います。なので明日も書き続けて、なんとか終わらそうかなと思っています。
今までシナリオが全然書けない子だったので、(というか書いている途中に心境の変化により何度も考え直し始めるのです)こんなにすらすら書けているのがまぁ嬉しくもあります。

というか今回は言ってみれば小説みたいな感じで書いているのですが、多分シナリオを書くときも一回自分の思い描いてる情景を小説みたいに文章で書き落としてから、それをシナリオに直した方がブレずにさくっと書ける気がしてるので、次回からはそうしようと思っています。

で、何故文章を書いているかというと、僕はそういったシチェーション的なストーリーのあるアイデアがぽろぽろ時々浮かんでくるんですよ。
で、いつもそれを軸にそこにいろんな要素をくっ付けてPARTYを作ろうとするのです。
ただこれは大変な作業なんです。

アイデアが浮かぶ
モチベーションが上がる
頭に浮かんでる映像を文章に書き落とす
それをもとにシナリオを書く
それをもとに映像の使い方を考える(スクリーンをいくつ使うか、何処に配置するか)
それをもとにどこをダンスで表現し、どこを映像で説明するのが面白いか考える
映像を撮る準備をする(キャスト、スタッフ、ロケーション集め)
映像を撮る
それを引き立てる音を探す
その音に振り付けをつける
振り付けを教える
練習する
会場の準備をする(場所を探したり、交渉したり)
告知の準備をする
自分と周りのモチベーションを高めさせる
お客さんとのインタラクティブな関係を考える
それを盛り込む
ストーリーに側した照明やインスタレーションについて考える
それを作り始める
告知する
当日の役割分担、流れ、スタッフを決める
完成させる
前夜はみんなで盛り上がる(これが楽しい)
当日来てくれた人達に感謝して、いい空気を作る
反省して次に生かす


すいません。自分の頭を整理させるために並べてみました。
というように、吐き気がする程やることが沢山ありすぎることをいつもしようと企ててるんですよね。
これは映画一本撮るより大変なんじゃないかと自分は思って嫌になる時もあります。
でもこれが自分にとって一番「自然」な表現の仕方だなと思うんです。
何故ダンスが好きでいつも踊っちゃうのか、何故ストーリーがふつふつ浮かんで来ちゃう時があるのか、何故この哀愁を含んだ音や景色に懐かしさを覚え、水面に映るネオンの光の側を一人で歩く感じを小さい頃から興奮してるのか、何故自分はこういう性格で、こんな性癖で、全く違う分野のある部分に興味を抱いたりするのか。
それを通しての「徳永雄紀」っていう形があって、それを表現したいもんで、こういった表現の仕方を選ぶんだなと「自然」に感じているのです。
自分に嘘がつけないんですよね。その一部を切り取って、じゃあダンスで生きて行こうとかすると結局は満たされてなくて、そのふがふがした感じが自分を苦しめるんじゃないかと思うのですよ。で自分の「自然」な表現が少し未来の日本をおもしろくする一つの要因になれるような可能性があるんじゃないかと妙な自信があったりするのですよ。だから今はじっと我慢しています。


大分話は反れてしまいましたが(いや人生の本題なんですが)、これだけでっかいことなので晴れ渡る日までの道のりが遠くて遠くて苦しいのです。
で例えばダンスのフリが先に浮かんでそこからストーリーを導きだしたり、照明のアイデアがこういうシーンを作りたいってアイデアに変わったり、そんなことを頭の中でいくつもいくつも重ね合わせて、ひとつひとつにいろんな形のアイデア達を上手く組み合わせていくんです。
でまた、それを形に出来るまでは出来るだけ誰にも話したくない。サプライズ!!をちゃんとあじわせたいという気持ちがあるので、基本的に自分の脳内に溜め込んで行くんです。

すると死んでくものも忘れてくものも変わってくものもあります。

そして今無力な僕がロンドンで一人。

なので、ここはひとつ今あるものを文章としてアウトプットしてみようかなと思ったのです。
多分この文章が映像になったら、PARTYになったら、全く違う顔の作品になるなと思いました。
なので、文章で一度出してみていいやと今回思えたのです。
「つまらないだろうと思ってやらないのが一番つまらない」ってのが昨日の僕の気づきなんで。


て、すげぇ長い文章になっちゃったな。
多分書いた文章はどこかにアップします。

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